フランツ・カフカ 城 

 Kは絵の一枚を壁からはずして、手紙をそのくぎにかけた。この部屋に住むことになろうから、ここに手紙をかけておこう、と思ったのだ。
 それから彼は下の店へ降りていった。バルナバスは助手たちとともに小さなテーブルに坐っていた。
「ああ、君はここにいたんだね」と、Kはただバルナバスを見てうれしかったので、何とはなしにいった。バルナバスはすぐ飛び上がった。Kが部屋に入るやいなや、農夫たちは彼のところへ近づこうとして腰を上げた。いつでも彼のあとを追いかけることが、すでにこの男たちの習慣となっていた。
「いったい君たちはいつも私に何の用があるというのかね?」と、Kは叫んだ。彼らはKのこの言葉を悪くは取らずに、のろのろと自分の席へもどっていった。彼らの一人が、立ち去りながら説明するようにいった。
「いつでも何か新しいことが聞けるんでね」
 その調子は軽率で、あいまいな薄笑いを浮かべていたが、ほかの何人かもそんな笑いかたをしていた。そして、いい出した男は、まるでその新しいことというのがご馳走でもあるかのように、唇をなめるのだった。Kは相手の意を迎えるようなことは何もいわなかった。それで連中が彼に対して敬意をもつようになれば、そのほうがよいのだ。ところが、彼がバルナバスのそばに腰を下ろすやいなや、たちまち一人の農夫の息を首すじに感じた。その男のいうところによれば、塩入れを取りにやってきたということだったが、Kが怒りのあまり足を踏みならしたため、その農夫は塩入れをもたずに逃げ去った。Kに手出しをすることはほんとうにたやすく、たとえばただ農夫たちを彼に向ってけしかけさえすればよかった。彼らのしつっこい関心は、Kにはほかの者たちのうちとけぬ態度よりもたちが悪いもののように思えたし、その上、それはうちとけぬ態度でもあった。というのは、もしKが彼らのテーブルに腰を下ろしたならば、彼らはそこに坐ったままでいなかったろう。ただバルナバスがいるため、Kはひとさわぎ起こすことを思いとどまった。しかし、彼はそれでもなおおびやかすように彼らのほうに向きなおった。彼らもまた彼のほうを向いていた。しかし、彼らがめいめい自分の席に坐り、たがいに話もせず、はっきりとしたつながりももたぬまま、ただみんなが彼をじっと見つめているということだけでたがいにつながりあっているのを見ると、彼らがKを追いかけている動機もけっして悪意なのではないように思われた。おそらく彼らはほんとうに何かを彼に望んでいながら、ただそれを口に出してはいえないのであろう。そして、もしそうでなければ、それはおそらくただ子供っぽさなのだろう。その子供っぽさというのは、ここではごくあたりまえのことのように見えた。亭主も子供っぽくないだろうか。亭主は、客のだれかのところへもっていくはずの一杯のビールを両手で支え、立ちどまり、Kのほうを見ていて、台所の小窓から身体を乗り出しているおかみの呼びかける言葉を聞きのがしている有様だった。



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