フランツ・カフカ 城 

「私たちもここでお待ちできるといいんですが」
 そこでKは答えた。
「わかっているよ。でも、そうしてはもらいたくないんだ」
 フリーダは、助手たちが立ち去るとすぐにKの膝の上に坐って、いった。
「あなた、あの助手たちのどこが気に入らないの? あたしたちはあの人たちに秘密なんかもってはいけないわ。あの人たちは忠実なんですもの」
 この言葉を聞いたとき、Kには腹立たしくはあったが、またある意味では好都合でもあった。
「え、忠実だって?」と、Kはいった。「あいつらは私をたえずうかがっている。ばかげたことだが、いまいましい」
「あなたのいうこと、よくわかると思うわ」と、彼女はいって、彼の首にすがりつき、なお何かいおうとしたが、それ以上しゃべることはできなかった。Kたちが坐っていた椅子はベッドのすぐわきにあったので、二人はベッドのほうへぐらついて、その上に倒れた。二人はそこへ横たわっていたが、先夜のように身をまかせ切りになってはいられなかった。彼女は何かを求め、彼も何かを求めていた。荒れ狂い、顔をしかめ、たがいに頭を相手の胸に強く押しつけながら、彼らは求めていた。そして、二人の抱擁(ほうよう)、二人の投げかけ合っている肉体は、求めるという義務を彼らに忘れさせはしないで、むしろそれを思い出させるのだった。犬たちが絶望して大地をかきむしるように、二人はたがいに肉体をかきむしり合った。そして、なお最後の幸福をつくり出すことは絶望し、幻滅して、彼らの舌はときどき相手の顔じゅうをなめ廻すのだった。疲れがやっと彼らを鎮まらせ、たがいに相手に感謝させた。やがて女中が上がってきた。
「まあ、二人はなんていう恰好でここに寝ているんでしょう」と、女中の一人がいって、同情の気持から彼らの上に一枚の布を投げかけた。
 しばらくしてKがその布を押しのけ、あたりを見廻すと、――別に彼は驚かなかったが――助手たちがまた例の片隅にきていて、指でKをさしながら、たがいにまじめになるようにといましめ合い、敬礼をするのだった。ところが、二人の助手のほかに、ベッドのすぐわきに宿のおかみが坐って、靴下を編んでいた。こんな小さな手仕事は、部屋をほとんど暗くしてしまうほどの巨人のような彼女の身体にはぴったりしなかった。
「ずいぶん長いあいだ待っていたんですよ」と、彼女はいって、だだっぴろくて老いのしわがたくさん刻まれてはいるが、全体からいうとまだ色つやがよく、おそらくかつては美しかったにちがいない顔を、ふっと上げた。彼女の言葉は非難のように、それも見当ちがいの非難のように、ひびいた。というのは、Kはじつのところ、彼女にきてくれなどと頼まなかったのだ。そこで彼は、ただうなずいて彼女の言葉がわかったというそぶりを見せた。フリーダも起き上がったが、Kを離れて、おかみの椅子にもたれた。
「おかみさん」と、Kは放心したようにいった。「あなたが私にいおうとしていることは、私が村長のところからもどってきてからにしてくれませんか。私は村長のところで重要な話合いをしなければならないのです」
「こっちのほうが重要ですよ。いいですか、測量技師さん」と、おかみはいった。「村長さんのところではおそらくただ仕事のことだけが問題なんでしょうが、ここでは一人の人間のこと、私のかわいい女中のフリーダのことが問題なんですよ」
「なるほど」と、Kはいった。「だがしかし、なぜこの問題を、私たち二人にまかせておいてくれないのか、どうもわかりませんね」
「愛情のためです。心配からです」と、おかみはいい、フリーダの頭を自分の身体に引きよせた。フリーダは立っているのに、坐っているおかみの肩のところまでしかとどかない。Kはいった。
「フリーダがあなたをそんなに信頼しているのだから、私もほかにしようがありません。それに、フリーダがついさっき、私の助手たちは忠実だといったのですから、私たちはたがいに友人同士なわけです。それから私は、おかみさん、あなたにいえるんですが、フリーダと私とが結婚すれば、しかもすぐにもすれば、それがいちばんいいんだ、と私は考えているんです。残念しごくなことですが、結婚しても、フリーダが私によって失ってしまうもの、つまり紳士荘の地位とかクラムとのなじみとかをつぐなってやれないでしょうけれど」
 フリーダが顔を上げたが、眼は涙でいっぱいだった。眼には勝利感などはまったく浮かんでいなかった。
「なぜわたしなの? なぜ、ほかならぬこのわたしがそのために選ばれたの?」
「なに?」と、Kとおかみとが同時にたずねた。
「この子は気が変になっているんだわ、かわいそうに」と、おかみがいった。「あまりの幸福と不幸とがいっしょになったので、気が変になっているんだわ」
 すると、まるでこの言葉を裏書きするように、フリーダは今度はKの上に身を投げかけ、ほかにはだれも部屋にいないかのようにあらあらしく彼に接吻し、次に泣きながら、なお彼を抱きしめたまま、彼の前にひざまずいた。Kは両手でフリーダの髪をなでながら、おかみにたずねた。
「あなたは私のいうことがもっともと思われるでしょうね」
「あなたはりっぱなかたですわ」と、おかみはいったが、彼女も涙声で、いくらかがっくりしてしまったように見え、苦しげな息をついていた。それにもかかわらず、彼女はまだ次のようにいう元気があった。
「今度はただ、あなたがフリーダに与えなければならない何かの保証をいろいろと考えてみましょう。なぜなら、わたしのあなたに対する尊敬がどんなに大きくとも、あなたはやっぱりよその人ですからね。だれも証人にすることはできないし、あなたの家庭の事情もここではわかっていませんもの。だから、保証がどうしても必要です。それはよくおわかりですね、測量技師さん。だって、あなたご自身が、フリーダはあなたと結びついたために今後どんなに多くのものを失うか、ということを指摘なすったんですもの」
「そうですとも。保証、それはもちろんです」と、Kはいった。「保証は祭壇の前でするのがきっといちばんいいでしょう。だが、おそらくほかの伯爵領の役所が介入してくることでしょう。それに私は結婚式の前にどうしても片づけておかねばならぬことがあります。クラムと話さなければなりません」
「それはだめよ」と、フリーダはいって、少し身体をもたげ、Kに身体を押しつけてきた。「なんていうことを考えるの!」
「どうしてもしなければならないんだ」と、Kはいった。「もし私になしとげられないのなら、君がしなければならない」
「わたしにはできないわ、K、できないわ」と、フリーダがいった。「クラムはけっしてあなたと話なんかしないでしょう。クラムがあなたと話すなんて、どうしてそんなことを信じられるでしょう!」
「君となら話すかい?」と、Kはきいた。
「わたしもだめよ」と、フリーダがいう。「あなたもだめよ、わたしもだめよ。まったくできないことなのよ」
 彼女は両腕を拡げておかみに向った。
「ごらんなさいな、おかみさん、なんていうことをこの人は求めているんでしょう」
「あなたは変っていますね、測量技師さん」と、おかみはいった。今度は身体をまっすぐに立て、両脚を組み合わせ、薄手のスカートを通してがっちりした膝を浮き出させている彼女の様子は、恐るべきものであった。「あなたはできないことを求めているんですよ」
「なぜできないんですか?」と、Kはたずねた。
「それは説明しましょう」と、まるでこの説明は最後の好意ではなくて、すでに彼女がくだす最初の罰なのだ、というような調子で、彼女はいった。「よろこんで説明しましょう。わたしはお城の人間ではなく、ただの女、ただこの最下等の宿のおかみにすぎませんわ。――この宿は最下等じゃないかもしれませんけど、でもそれよりあまりましじゃありません。――ですから、あなたはわたしの説明にあまり重きを置かないかもしれませんが、わたしだってこれまで二つの眼をちゃんと開けて生きてきたのですし、たくさんの人とも出会い、商売の重荷もすべてひとりで背負ってきました。というのは、主人はなるほどいい人間だけれど、どうも宿の亭主じゃありませんからね。責任というものがどんなものか、ということはあの人にはけっしてわからないでしょうよ。たとえば、あなたがこの村にいらっしゃるのも、またここでベッドの上に安らかに気楽に坐っていらっしゃるのも、ただあの人の投げやりな態度のおかげなんですよ。――わたしはあの晩はもう疲れ切って、倒れそうだったんです」
「どうしてです?」と、Kは腹立ちよりもむしろ好奇心に刺戟されて、ある種の放心状態から目ざめながら、いった。
「みんなあの人の投げやりな態度のおかげなんですよ!」とおかみはKに人差指を向けながら、もう一度叫んだ。フリーダがおかみをなだめようとした。
「なんだっていうのさ」と、おかみは身体全体を急に向けなおして、いった。「測量技師さんがおたずねだから、わたしはお答えしなけりゃならないんだよ。わたしがいわなければ、このかたにどうしておわかりになるのさ、わたしたちにはわかりきっていることを、クラムさんはけっしてこのかたとは話さないだろう、っていうことをさ。いいえ、わたしとしたことが、〈話さないだろう〉なんていって。このかたと話ができないんだよ。聞いて下さい、測量技師さん! クラムさんはお城の人ですよ。それだけのことでもう、クラムのほかの地位なんかは別としても、とても身分が高いということなんですよ。ところであなたはなんだというんです、わたしたちがここでこんなにへりくだってあなたの結婚の同意を得ようとしていたって! あなたはお城のかたではないし、村の出ではないし、あなたは何者でもないんですよ。でも残念ながらあなたは何者かではありますよ。よそ者、余計者でどこでだってじゃまになる人間なんです。その人のためにいつだって他人に迷惑がかかるような人、その人のために女中たちを別なところへどかせなければならないような人、どんなつもりでいるのかわからないような人、わたしたちのかわいいフリーダを誘惑してしまった人、残念なことにフリーダを妻としてあげなければならない人なんです。でも、根本からいうと、そんなすべてのことのためにあなたを非難しているわけじゃありませんよ。あなたは、ありのままのあなたですからね。わたしはこれまでの生涯ですでにいろいろなことを見てきましたから、こんな有様が我慢できないなんていうことはありませんよ。でも、あなたがじつはどんなことを求めていらっしゃるのか、ということを考えてもごらんなさいな。クラムみたいな人があなたと話すなんて! フリーダがあなたにのぞき孔(あな)を通してお見せしたということを、わたしはつらい気持で聞きました。この子がそんなことをしたとき、すでにこの子はあなたに誘惑されていたんです。あなたがどうやっておよそクラムの姿を平気で見ていられたのか、いって下さいな。いえ、いう必要はありません、わたしにはわかっています。あなたはあの人の姿を全然平気で見ていられたんです。でも、クラムにほんとうに会うなんていうことは、あなたにはできっこありません。これはなにもわたしの思い上りなんかじゃありません。というのは、わたし自身だってできないんですもの。あなたがクラムと話したいですって? クラムはけっして村の人とは話さないんです。あの人自身、村のだれかと話したことなんか、一度だってないんです。まったくフリーダの大きな名誉なんです、わたしが死ぬまでわたしの誇りとなるような名誉なんですよ、あの人が少なくともいつもフリーダの名前を呼んでいたこと、フリーダが好きなときにあの人と話ができたこと、そしてのぞき孔から見ることを許されていたことは。でも、あの人はこの子とも一度だって話したことがないんです。そして、あの人がときどきフリーダを呼んだということには、人が好んでつけたがるような意味はまったくないはずです。あの人はただ、〈フリーダ〉という名前を呼んだだけなんです。――あの人の考えていることをだれがわかるものですか。――フリーダはもちろん急いでいきましたが、それはこの子だけのことですし、この子が反対も受けずにあの人の部屋に入ることを許されたのは、クラムの好意なんです。でも、あの人がこの子をたしかに呼んだのだ、とはいい張るわけにはいきません。もちろん、今では、あったことも永久に過ぎ去ってしまいました。おそらくクラムはなお〈フリーダ〉という名前を呼ぶかもしれません。それはありうることです。でも、この子はもうきっとあの人の部屋へ入ることは許されないでしょう。あなたと関係してしまった娘なんですからね。で、ただ一つだけ、ただ一つだけ、わたしのあわれな頭ではわからないんですけれど、クラムの恋人――わたしはこれは誇張した呼びかただと考えていますがね――そういわれていたような娘が、どうしてあなたに心を動かされたりしたのでしょうねえ」
「まったく。それは変ですね」と、Kはいって、頭を垂れてではあるがすぐ応じてきたフリーダを、自分の膝の上にのせた。「でも、そのことが証明しているのは、ほかのこともなにからなにまでまったくあなたの信じているとおりではないのだ、ということでしょうね。たとえばたしかに、私がクラムに対しては何者でもない、とあなたがおっしゃるのは、もっともな話です。また、私が今でもクラムと話したいと望んでいて、しかもあなたの説明によって少しもその要求を捨てていなくとも、それで、へだてのドアなしでクラムの姿を平気で見ていられるのだ、ということにはなりませんし、あの人が部屋から出てくるときに逃げ出してしまうかもしれませんね。でも、こんな心配はたとい正しくとも、まだ私にとってはそれをやってみようとしない理由にはなりませんよ。ところで、もし私があの人に対して平気でいることができるなら、あの人が私と話すなんていうことはまったく必要じゃないんです。私の言葉があの人に与える印象を見とどけるならば、私にはもう十分です。そして、もし私の言葉があの人に少しも印象を与えず、あの人がそれを全然聞いていないにしても、一人の権力者の前で自由にものがいえたのだ、という勝利をおさめたことになります。でも、おかみさん、あなたは人生や人間のことをよく知っているといわれるし、きのうまではクラムの恋人だった――この言葉を避ける理由は私にはありませんよ――フリーダであってみれば、あなたがた二人はきっと、クラムと話す機会を私のためにたやすくつくってくれることができるはずです。ほかのやりかたではできないのなら、まさに紳士荘でね。おそらくあの人は今日もまだそこにいるでしょうからね」
「それはできませんよ」と、おかみがいった。「それに、わたしにはわかっているのですけれど、あなたにはそのことがわかる能力が欠けているのです。ところで、ひとつ教えてくれませんか、いったいクラムとどんなことについて話そうっていうんです?」
「もちろん、フリーダのことについてですよ」と、Kはいった。
「フリーダのこと?」と、おかみはわけがわからぬようにききただし、フリーダに向って、いった。「聞いたかい、フリーダ。この人はね、この人はあんたのことについてクラムと話したいんだってさ、クラムとだってさ」
「いや、どうも」と、Kはいった。「あなたは、おかみさん、とても賢い、尊敬の気持を起こさせるかたなのに、どんな小さなことにも驚くんですねえ。ところで、私はフリーダのことについてあの人と話そうと思うんだが、これはそう途方もないことじゃなく、むしろあたりまえのことですよ。というのは、たしかにあなたの思いちがいですね、私が登場した瞬間からフリーダはクラムに対して意味のないものになってしまったのだ、と思うのなら。そんなことを信じているのなら、あの人を軽く見すぎていますよ。この点であなたに教えようとするなんて生意気なことだ、とはよくわかっていますが、やはりそうしないではいられません。クラムのフリーダに対する関係で私が入りこんだために変ってしまったところなんか、少しだってありません。この二人のあいだには、つぎのような二つの場合があるだけです。一つは、本質的な関係なんかなかったという場合で――こういっているのは、元来は、フリーダから恋人という敬称を取り去っている人たちです――それなら、今でも関係はないわけです。しかし、もう一つの場合として、もし関係があったとすれば、あなたが正しくもいわれたようにクラムの眼にとって何者でもないこの私によって、その関係が乱されるというようなことが、どうしてありましょうか。そんなばかげたことは、驚いたときに最初の一瞬間だけ人が信じるものです。少しでも考えなおしてみさえすれば、そんなことは訂正されてしまいますよ。ところで、フリーダにこれについての意見をきいてみようではありませんか」
 遠くのほうに漂っているようなまなざしを見せながら、頬をKの胸に埋めて、フリーダがいった。
「それはおばさんのいったとおりよ。クラムはもうわたしのことなんか何も知りたがっていません。でも、もちろん、あなたがきたからなんかじゃないの。そんなことであの人は少しも動じたりしないわ。きっと、あたしたちがあのスタンドの下で出会ったのもあの人のしわざなんだ、と思うわ。どうぞあの出会いが祝福されていますように。呪(のろ)われてはいませんように」
「もしそうなら」と、Kはゆっくりといった。フリーダの言葉が甘かったのだ。彼は二、三秒のあいだ眼を閉じ、その言葉を身体全体にしみとおらせようとした。「もしそうなら、クラムと話すことを恐れる理由はもっと少ないわけだ」
「ほんとに」と、おかみはいって、Kを高いところから見下した。「あなたって人は、ときどきわたしの主人のことを思い出させますね。あの人と同じように、あなたも反抗的で子供のようなんだわ。あなたはここへきてまだ二、三日にしかならないのに、もうなんでもこの土地の者たちよりもよく知りたがるのね、わたしのようなお婆さんよりも、また紳士荘でいろいろ見たり聞いたりしてきたフリーダよりも。きまりやしきたりにまったく反していつか何かをうまくやりとげるなんていうことはありえないことだ、とはいいません。わたしはこれまでにそんなことを体験したことはないけれど、どうもそういう例はあるようね。そうかもしれないわ。でも、そんなことがあるとすれば、きっとあなたのやるようなやりかたでではないでしょう。いつでも『ちがう、ちがう』といって、自分の頭だけでうけ合い、どんな好意ある忠告さえも聞きのがす、なんて。いったいあなたは、私の心配があなたのためなんだ、とでも思っているんですか。あなたがひとりだったあいだは、あなたのことなんかにわたしが気をかけていましたかね。たしかにそうしておいたほうがよかったでしょうし、いろいろな面倒が避けられもしたでしょうけれど。あのとき、わたしがあなたについて亭主にいったただ一つのことといえば、『あの人を避けるんですよ』ということだけでしたよ。もしフリーダが今ではあなたの運命に巻き添えをくっているのでなければ、この言葉は今でもまだわたしの気持というものでしょう。あなたの気に入ろうと、気に入るまいと、わたしの心づかいも、そればかりかわたしがしたてに出ているのだって、みんなこの子のおかげなんですよ。そして、あなたはこのわたしをさっぱりとのけ者にするわけにはいきません。なぜなら、かわいいフリーダの身の上を母親のような心配で見守っているただ一人の女であるこのわたしに対して、あなたは重い責任がありますからね。フリーダのいうことが正しくて、起ったことはみなクラムの意志のままなのだ、ということはありうることです。でも、クラムについてはわたしは今でも何一つ知らないのです。これからもけっしてあの人と話すことはないでしょうし、あの人はわたしにとっては手のとどかない人なんです。ところが、あなたはここに坐って、わたしのフリーダをつかまえ、――このことをなぜ隠しておく必要があるでしょう?――じつはこのわたしにつかまえられているのです。そうです、わたしにつかまえられているんですよ。なぜなら、もしわたしがあなたをこの家から追い出したら、犬小屋だろうとなんだろうと、村のどこかで泊まる場所を見つけてごらんなさいな」
「ありがとう」と、Kはいった。「それは率直な言葉ですね。あなたのいわれることはそのまま信じますよ。それでは、私の立場も、またそれと関連してフリーダの立場も、すこぶる不安定なものなのですね」
「ちがいます!」と、おかみはKの言葉をさえぎるようにして、あらあらしく叫んだ。「フリーダの立場は、この点については、あなたの立場と全然関係がありませんよ。フリーダはうちの者ですし、だれだって、この子の立場がここで不安定だなんていう権利はありませんよ」
「わかった、わかりましたよ」と、Kはいった。「その点でもあなたが正しいとみとめるとしましょう。その理由はとくに、フリーダがなぜか知らないけれど、あなたのことをひどくこわがっているようで、この話に加わろうとしないからです。そこで、さしあたっては、話を私のことだけに限りましょう。私の立場がきわめて不安定であるということ、これはあなたも否定なさらないし、むしろそのことを証明しようと一生懸命になっておられる。あなたのおっしゃるすべてのことと同様、これは大部分は正しいのですが、完全に正しいわけではありません。たとえば、私はいつでも泊まれるなかなかいい宿屋を知っていますよ」
「いったい、どこですか?」と、フリーダとおかみとが叫んだ。まるで、こうきくのには同じ動機があるかのように、時を同じくして、ひどく好奇心たっぷりなききかただった。



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