フランツ・カフカ 城 

「そうです」と、Kはいった。「私はよそからきたんです。ゆうべここにきたばかりです」
「城はお気に入らぬでしょう?」と、教師は早口でたずねた。
「なんですって?」と、Kは少しびっくりしてきき返し、それからもっとおだやかな形で問いをくり返した。「城が気に入ったかとおっしゃるんですか? 気に入らないなんて、どうしてお考えになるのです?」
「よその人には気に入らないのです」と、教師がいった。ここで相手に逆らうようなことはいうまいとして、Kは話を変え、きいてみた。
「あなたは伯爵をご存じでしょうね?」
「いや」と、教師はいい、身を転じようとした。だが、Kは追いすがって、もう一度たずねた。
「なんですって? 伯爵をご存じないとおっしゃるんですか?」
「どうして私が伯爵を知っているなんてお思いですか?」と、教師は低い声でいい、フランス語で声高(こわだか)につけたした。
「罪のない子供たちがいることを頭に入れておいてください」Kはその言葉をいいたねにして、たずねた。
「先生、一度あなたをお訪ねしてよろしいでしょうか? 私はしばらくこの土地にいるのですが、もう今から少し心細い気がするんです。私は農夫の仲間でもないし、城の人間でもないんです」
「農夫と城とのあいだには、たいしてちがいはありませんよ」と、教師はいった。
「そうかもしれません」と、Kはいった。「でも、それは私の状態を変えはしません。一度お訪ねしてよろしいですか?」
「私はスワン街にある肉屋に住んでいます」
 これは招待するというよりは、住所をいったまでのことだったが、それでもKはいった。
「わかりました。伺います」
 教師はうなずき、またもや叫び声を上げ始めた子供たちのむれといっしょに、立ち去っていった。彼らはまもなく急な坂になっている小路のうちに消えた。
 Kのほうはぼんやりしてしまい、今の対話で気分をそこねていた。到着以来はじめて、ほんとうの疲労というものを感じた。ここにくるまでの遠い道が彼を疲れさせたなどとは思われなかった。どんなに何日ものあいだ、冷静に一歩一歩とさすらいつづけてきたことか!――ところが今や、過度の緊張の結果が現われたのだった。もちろん、はなはだまずいときにである。新しい知合いを探そうという気持が、逆らいがたく彼の心をひいていた。しかし、新しい知合いのできるごとに、疲労は強まっていく。きょうの状態では、少なくとも城の入口まで無理に散歩の足をのばそうとすれば、もう手にあまるほどの骨折り仕事だった。



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