フランツ・カフカ 城 

「どうしてもしかたがない場合には、ここから出ていきましょうよ。なんでこの村にいなければならないの? でも、今のところは、ねえ、あなた、この申し出を聞くことにしようじゃありませんか。わたしは先生をつれもどしてきてあるんだし、〈承知しました〉といえば、それだけでいいんです。そして、わたしたち、学校へ引っ越していくのよ」
「それはまずいね」と、Kはいったが、まったく本気でいったのではなかった。というのは、住居のことなどは彼の気にはかからなかったし、それに下着だけの彼はこの屋根裏部屋でもひどく寒い思いをしていた。この屋根裏では、二方が壁も窓もなくて、寒い風が身を切らんばかりに吹き抜けていくのだった。「君が部屋をこんなにきれいにこしらえてくれたのに、もう出ていかなければならないなんて! どうもそんな地位なんか承知したくないんだ。あんなつまらぬ教師に一瞬間でも頭を下げていることさえ、私にとってはたまらないことだし、それに今度は私の上役にさえなっているんだからね。もう少しのあいだだけここにいられるならば、おそらくきょうの午後にでももう私の状態は変わるだろう。少なくとも君がここにとどまるなら、そうなるのを待っていられるし、教師にははっきりしない返事をしておけるんだ。私のことなら、いつだって寝場所ぐらい見つかるさ。もし探さねばならぬとしたらね。実際、バル――」
 フリーダは手で彼の口をふさいだ。
「それはだめ」と、彼女は不安げにいった。「どうか、それは二度といわないでちょうだい。ほかのことならなんでもあなたのいうことをきくわ。もしあなたが望むのなら、いくらわたしは悲しくても、ここにひとりで残りますわ。あなたが望むなら、この申し出もことわってしまいましょう。ことわることは、わたしの考えではとてもまちがっていると思われるんですけれど。だって、そうじゃない、あなたがきょうの午後にでも別な口を見つけるなら、わたしたちが学校の職を捨てるのは当然よ。だれだってそのじゃまをする者はいないわ。そして、先生に頭を下げるということについていうなら、わたしにそのことをまかせておいて。そんなことにならないようにするから。わたし、あの人と自分で話すわ。あなたはただ黙ってそばに立ってさえいればいいのよ。そして、あとになったって同じだわ。もしあなたがしたくないなら、一度だってあの人と話す必要なんかないのよ。ほんとうはあたしだけがあの人の部下になるわけでしょうが、けっしてわたしは部下なんかにはならないわ。だって、あたしはあの人の弱味を知っているんですもの。だから、もしあの職を引き受けるなら、何も損はしないんだけれど、もしそれをことわればとても損をするのよ。何よりもまず、もしあなたがきょうのうちにでも城から何かを手に入れないなら、ほんとうにあなた一人のためにだって村ではけっして寝場所なんか見つかりっこないわ。つまり、あなたの将来の妻であるわたしが恥かしい思いをしないでもいいような寝場所のことよ。そして、もしあなたが寝場所を見つけることができなければ、あなたが夜の寒さのなかをさまよっているってわかっているのに、この暖かい部屋で自分だけで寝ていろ、とわたしに求めようとしているようなものよ」
 少しばかりあたたまろうとして、そのあいだじゅう両腕を胸の上で組み、手で背中をたたいていたKは、いった。
「それじゃあ、承知するよりほかに手はないわけだ。おいで」
 部屋へいくと、彼はすぐストーブのところへ急いだ。教師のことなどはかまってはいなかった。ところで教師のほうは、テーブルのところに坐っていて、時計を取り出すと、いった。
「遅くなりましたね」
「そのかわり、わたしたちは今は完全に意見が一致しましたの、先生」と、フリーダがいった。「わたしたちはその職をお受けしますわ」
「わかりました」と、教師はいった。「でも、この職は測量技師さんに申し出たものです。この人が自分でおっしゃらなければなりません」フリーダはKに助け舟を出した。
「もちろん」と、彼女はいった。「この人は職をお引き受けしますわ。ねえ、K?」
 そこで、Kは自分の確答を簡単に「ああ、そうだ」というだけに限ることができたが、これはけっして教師に向けた返事ではなく、フリーダに向けたものだった。



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