フランツ・カフカ 城 

 両手をポケットに突っこみ、注意深くあたりを見廻しながら、塀に沿って内庭の二つの側を通り、最後にそりのところへいった。馭者はこの前酒場にいたあの農夫たちの一人で、毛皮のなかに埋まって、無関心げに彼が近よっていくのをながめていた。ちょうど猫の歩いている跡を追うようであった。Kが自分のすぐそばに立って挨拶し、二頭の馬が暗がりから浮かび上がってきた人間に驚いて少しさわぎ始めたときにも、馭者はまったく素知らぬ顔をしつづけていた。Kにとってはむしろありがたいことだった。塀によりかかって弁当の包みを開き、自分のためにこんなに心配してくれたフリーダのことを感謝をこめて思うのだったが、そうしながら建物の内部をうかがった。直角に曲がっている階段が下へ通じ、天井は低いが奥行のありそうな廊下と下で交叉している。いっさいが清潔で、白く塗られ、輪郭が鋭くまっすぐである。
 そこで待つことは、Kが思っていたよりも長くつづいた。もうずっと前に弁当を食べ終っていた。寒さがこたえた。今までの黄昏がすでに完全な暗闇(くらやみ)と変っていたが、クラムはまだやってこなかった。
「まだだいぶ長くかかるかもしれない」と、突然、Kのすぐそばでしわがれた声がしたので、Kはぎくりとした。声の主は馭者で、ちょうど眼がさめたばかりのようにのびをし、大きなあくびをした。
「何が長くかかるのかね」と、Kはきいた。じゃまされたので迷惑しているのではなかった。というのは、長くつづいた静けさと緊張とがもういやでたまらなくなっていたのだ。
「あんたが立ち去るまでにだよ」と、馭者がいう。Kには相手の言葉の意味がわからなかったが、それ以上はきかなかった。そうしていることがこの高慢な男にものをいわせるのにいちばんいい方法だと思ったのだった。ここの暗闇のなかで返事をしないということは、ほとんど相手をけしかけるようなものだ。そして実際、馭者はちょっとたってから思わくどおりきいてきた。
「コニャックを飲みませんかね」
「うん」と、Kはこの申し出にひどく心を誘われて、考えもせずにいった。というのは、寒さにふるえていたところだった。



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