フランツ・カフカ 城 

 なんという問いだろう! なんと返事したらいいのだろう! あんなに期待をこめて踏み出した道がだめだったのだ、ということをこの人にもはっきりと裏書きしてみせるべきだろうか。Kは答えるかわりに、そりのほうへ向きなおり、ドアを開いて、そのなかに置き忘れていた帽子を取り出した。コニャックが踏段の上にこぼれているのを不快な気持でながめた。
 それからまた紳士のほうを向いた。自分がそりのなかへ入ったのをこの男に知らせることに、もうためらう気持はなかった。それもたいしてまずいことではないのだ。もしきかれたら、といってきかれたときにだけだが、馭者自身が少なくともそりのドアを開けるきっかけをつくったのだ、ということを隠してはおくまい、と思った。だが、ほんとうにまずかったのは、この人に不意を突かれ、身を隠すだけの余裕がもうなく、そこでじゃまされずにクラムを待つことができない点、あるいはそりのなかにとどまり、ドアを閉め、なかで毛皮の上に坐ったままクラムを待つだけの、あるいは少なくともこの人が近くにいるあいだはそりのなかへとどまっているだけの心の落ちつきがなかった点である。もちろん、たぶんクラム自身が今にもやってこないものかどうかは、彼にはわからなかったのだ。その場合にはむろん、そりの外でクラムを迎えたほうがずっとよかったろう。まったく、今の場合にはいろいろ考えるべきことがあったのだ。しかし、今となってはもう考えることなんか全然ない。もういっさいが終ったのだ。
「私といっしょにいらっしゃい」と、紳士はいった。ほんとうは命令の調子ではなかったのだが、命令は言葉のなかに含まれているのでなく、そういいながら示した、わざと冷淡そうに短く手を振ったそのそぶりに含まれていた。
「ここで人を待っているんです」と、Kはいったが、もう何らかの結果を期待しているのではなく、ただ原則的なことをいったまでだった。



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