フランツ・カフカ 城 

 おそらくKは相手を引きもどす力をもってはいた。だが、その力もなんの役にも立ちはしなかったろう。そりを引きもどすことは、自分をこの場から追い払うことを意味していた。そこで彼は、この場所の権利を主張するただ一人の人間として、静かにそこにとどまっていた。しかし、それはちっとも悦びの気持を起こさせない勝利だった。彼は紳士と馭者との後姿をかわるがわる見送っていた。紳士のほうは、Kがまず内庭に入ってくるときに通ったドアのところまでいったが、もう一度振り返った。Kには、自分がこんなに強情なのでその男が頭を振っているように思えた。それから男は、きっぱりした、すばやい、これでもうおしまいだというような動作で向きなおり、玄関に足を踏み入れ、すぐそのなかへ消えていった。馭者のほうはもっと長く内庭にとどまっていた。そりを片づけるのに手間がかかるのだった。重い馬小屋の門を開け、そりをバックさせて置場へ運び、二頭の馬をはずし、まぐさ槽(おけ)までつれていかなければならなかった。そうしたいっさいを馭者はまじめに、一心不乱にやっており、またすぐそりを出すことはまったく期待していないようだ。Kのほうへわき眼を投げることもなしに黙ったままやっているこの仕事ぶりは、紳士の態度よりもずっときびしい非難のようにKには思われた。そして、馬小屋での仕事を終えると、馭者はゆっくりした、身体をゆするような歩きかたで内庭を横切っていき、大きな門を閉め、それからもどってきた。すべて、ゆっくりした動作で、明らかにただ雪のなかの自分自身の足跡をながめているようだった。それから馬小屋のなかへ入った。すると、電燈がみな消えた。――だれのためにつけておかねばならぬというのだ?――上の木造回廊のすきまだけはまだ明るいままで、さまようまなざしをいくらか引きとめるのだった。そのとき、Kには自分とのいっさいのつながりがこれで絶ち切られ、今は自分がむろんかつてなかったほど自由であり、普通なら自分に禁止されているこの場所で、待ちたいだけ待っていいような気がするのだった。自分はこの自由を闘い取ったのであり、ほかの人間なんかにはそんなことはほとんどできないはずだ。だれも自分に手を触れたり、自分を追い払ったりしてはいけないのだ。そればかりか、話しかけてもいけないのだ。そんな気がした。だが――この確信は少なくともそれと同じくらい強いものだったが――それと同時に、この自由、こうやって待っていること、こういうふうに他人から傷つけられないでいること、それくらい無意味で絶望的なことはないようにも思われるのだった。






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