フランツ・カフカ 城 

「ああ」と、Kはいった。「君は、それを伝えると私に約束するけれど、ほんとうに君のいうことを信じられるのかね? 私は信用できる使いの者をとてもほしいんだ。今はこれまで以上にそうなんだ」Kはいらいらして唇をかんだ。
「旦那」と、バルナバスは首を柔かに曲げていった。――Kはほとんどまたそのしぐさに誘われて、バルナバスのいうことを信じるところだった。――「私はたしかにそのことを伝えてさしあげますよ。あなたがこの前私にいいつけられたことも、きっと伝えますよ」
「なんだって!」と、Kは叫んだ。「いったい君はそのことをまだ伝えなかったのか。あの次の日、城へいかなかったのか」
「いきませんでした」と、バルナバスがいった。「私のおやじは、ごらんになったように年よりでしてね。また、ちょうどたくさん仕事があったものですから、おやじの手伝いをしなければならなかったのです。でも、近いうちにまた一度城へいくでしょう」
「君は何をやっているんだい、おかしな人だ」と、Kは叫んで、自分の額をたたいた。「クラムの用件はほかのどんなことよりも大切じゃないか。君は使いという高い職務をもちながら、その仕事をそんなに恥かしいやりかたでやるのか。君のお父さんの仕事なんてだれがかまうものか。クラムは報告を待っているのだ。君は、走りながらとんぼ返りをやるかわりに、馬小屋から馬糞を取り出すことを先にやるんだ」
「おやじは靴屋です」と、バルナバスはためらわずにいった。「おやじはブルンスウィックの注文を受けていました。で、私はおやじの職人でしてね」
「靴屋――注文――ブルンスウィック」と、Kは一つ一つの言葉を永久に使えなくしてしまうように、不機嫌そうに叫んだ。「そして、いつも人が全然通らないこの道で、だれが靴なんかいるのかね? そして、この靴商売なんか私となんのかかわりがあろう。使いの仕事を君にまかせたのは、君がその仕事を靴台の上に置き忘れ、めちゃめちゃにしてしまうためではなく、すぐそれをクラムのところへとどけるためなんだ」
 ここでKは、クラムがおそらくずっと城にではなく紳士荘にいたのだ、と思いつき、少しばかり気持を休めた。だが、バルナバスが最初のKの報告をよくおぼえていることを示すため、それを暗誦(あんしょう)し始めたので、またKを怒らせてしまった。
「たくさんだ、私はなんにも知りたくはないよ」と、Kはいった。
「私に対してお気を悪くしないで下さい、旦那」と、バルナバスはいって、無意識にKを罰しようとするかのように彼から視線をそらせ、両眼を伏せてしまった。しかし、それはKが叫んだことに驚いたためにちがいなかった。
「私は気を悪くなんかしていないよ」と、Kはいったが、彼の心の乱れが今は自分自身に向ってくるのだった。「君にじゃないんだ。でも、大切な用件にこんな使いしかもたないことは、私にとって大変まずいことなんだ」
「いいですか」と、バルナバスはいって、使いとしての自分の名誉を守るために、許されている以上のことをいおうとしているように見えた。「クラムは報告なんか待ってはいません。あの人は、私がいくと、腹を立てさえするんです。『また新しい報告か』と、あるときはいいましたし、私がくるのを遠くから見ると、たいていは立ち上がり、隣室へいってしまい、私に会いません。また、私が知らせをもっていつでもすぐいくというふうにはきめられていないのです。もしそうきめられているなら、私はもちろんすぐいきます。でもそんなことは全然きめられてはいないんです。で、私が一度もいかなくたって、そのことをとがめられることはないんです。私が使いの用件をもっていくのは、自由意志でやることなんです」
「そうか」と、Kはバルナバスを見、助手たちから故意に眼をそらしながら、いった。二人の助手はバルナバスのうしろでかわるがわる、まるで沈んでいた底のほうから浮かび上がるようにそろそろと首を出すが、Kを見てびっくりしたように、風の音を真似たような軽いぴゅうという口笛の音を鳴らし、またたちまち姿を消してしまう。そんなふうにして二人は長いあいだ楽しんでいた。
「クラムのところでどうなっているのか、私は知らない。君がそこで万事をくわしく知ることができるということは、私は疑わしく思うよ。そして、たとい君がそんなことをできるとしても、私たちはこうした事柄を好転させることはできないだろう。でも、使いの用件をもっていくということは、君にもできるんだから、それを君に頼むよ。ほんの短い使いだ。あしたすぐその伝言をもっていき、その日のうちに私に返事ももってこられるかね? いや、少なくとも、君がどんなふうにクラムに迎えられたか、伝えてくれることができるかね? それができるかい? で、それをやる気があるかい? そうしてもらえれば、私にはとてもありがたいんだよ。それにおそらく、君にそれ相応のお礼をする機会があるだろう。それとも今もう、私が君のためにやってあげられる希望をもっているかね」
「きっとご用件を実行します」と、バルナバスはいった。
「それじゃあ、それをできるだけよく実行するようにやってみようというんだね。クラム自身にそのことを伝え、クラム自身から返事をもらってこようっていうんだね。すぐ、万事すぐ、あしたのうちに、いや午前中にやるっていうんだね」
「最善をつくします」と、バルナバスはいった。「でも、いつでもそうしているんです」
「もうそんなことをいい争うのはやめよう」と、Kはいった。「用件はこうだ。土地測量技師Kは官房長殿に対して、直接お話しすることを許されたいと願っている。このような許可と結びついているようなどんな条件でも、あらかじめ承知するつもりだ。こうしたお願いをしないでいられなくなったのは、これまですべての仲介者が完全に役に立たなかったからだ。その証拠としてあげることは、自分はこれまでほんの少しでも測量の仕事をやっていないのであり、村長のいうところによると今後もけっして実行されないだろう、ということだ。そこで官房長殿の最近の手紙を絶望的な恥らいの気持で読んだ。官房長のところへ直接出頭することだけが今の場合に役立つだろう。測量技師は、このお願いがどんなに度を超(こ)えたものかをよく知ってはいるが、官房長殿におじゃまはできるだけしないように極力努めるつもりでいる。どんな時間の制限にも従うし、会話のときに使われる言葉の数をきめることを必要とみとめられるならば、それにも従う。わずか十語でもすますことができると信じている。深い尊敬をもって、また極度に落ちつかぬ気持をもって、ご決定をお待ちする」
 まるでクラムのドアの前に立ち、守衛と話しているかのように、Kはわれを忘れてしゃべった。
「思ったよりも長くなってしまったな」と、やがて彼はいった。「でも、君はこれをどうか口頭で伝えてもらいたい。手紙は書きたくないんだ。手紙はまた限りない書類の道をたどることになるだろうからね」
 そこでKは、ただバルナバスの心おぼえのために、一枚の紙を一人の助手の背中に当てて走り書きしていた。そのあいだ、もう一人のほうはランタンで照らしていた。ところがKはもうバルナバスの口授によってその文句を書きつけることができるほどだった。バルナバスはみんなおぼえてしまって、まるで学校の生徒のように正確に暗誦し、助手たちのまちがった口出しなんかは気にもかけなかった。
「君の記憶力はなみなみでないね」と、Kはいって、バルナバスに紙を渡した。「だが、どうかほかのことでもなみなみでないことを見せてくれたまえ。で、君の望みは? 何もないのかい? はっきりいうが、君が何か望みをいってくれるならば、私の伝言の運命について少しばかり安心できるのだが」
 はじめバルナバスは黙っていたが、やがていった。
「わたしの姉妹(きょうだい)たちがよろしくといっていました」
「君の姉妹たちだって?」と、Kはいった。「ああ、大柄でじょうぶな娘さんたちだね」
「二人ともよろしくといっていました。でもとくにアマーリアがそうです」と、バルナバスがいった。「アマーリアがきょうもこの手紙をあなたのために城からもってきたんです」
 何よりもまずこの知らせにしっかりしがみついて、Kはたずねた。「アマーリアは私の伝言も城までもっていけないのかね? あるいは君たち二人がいって、めいめいうまくいくようにやってみてくれることができないかね?」
「アマーリアは事務局へ入ることができないんです」と、バルナバスがいった。「そうでなければ、あれはよろこんでやるでしょうが」
「私はおそらくあした君たちの家へいくよ」と、Kはいった。「君がまず返事をもってきてくれたまえ。学校で君のことを待っているよ。また、君の姉妹がたによろしくいってくれたまえ」
 Kの約束はバルナバスをひどくよろこばせたようだった。別れの握手のあとで、彼はちょっとKの肩にさわりまでした。バルナバスが最初に輝くばかりの姿で食堂の農夫たちのところへ現われたときと、そっくりそのままの様子だった。Kは彼がそうやって肩にさわったことを、微笑をもってではあったが、何か特別のしるしと受け取った。気分がなごやかになったので、彼は帰り道には助手たちにしたいままにさせておいた。



底本:「世界文学大系58 カフカ」筑摩書房
   1960(昭和35)年4月10日発行
入力:kompass
校正:米田
2011年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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