フランツ・カフカ 城 

 おかみはふとんの下から一枚の写真を取り出し、それをKに手渡した。
「この写真をよくごらんなさい」と、彼女は頼まんばかりにいった。それをもっとよく見ようとして、Kは台所へ一歩ふみ入れたが、それでも写真の上に何かを見わけることは容易ではなかった。というのは、写真は古くなったために色があせてしまい、いくつも破れ目が入っていて、くちゃくちゃになり、しみがついていた。
「どうもあまりいい状態にはないようですね」と、Kはいった。
「残念ですわ、残念ですわ」と、おかみがいった。「何年も肌身につけていつももち運んでいると、そんなふうになるのよ。でも、よくごらんになると、なんでも見わけられますわ。きっとそうよ。それに、わたしがお手伝いしてあげるわ。何が見えるか、おっしゃって下さい。写真のことを聞くのは、とてもうれしいんです。何が見えるの?」
「若い男ですね」と、Kはいった。
「そうよ」と、おかみがいった。「で、何をしていると思う?」
「板の上に寝て、身体をのばし、あくびをしているのだと思うな」おかみは笑った。
「全然ちがうわ」と、彼女はいった。
「でも、ここに板があって、ここに男が寝ていますよ」と、Kは自分の見かたに固執した。
「もっとよくごらんなさい」と、おかみは怒ったようにいった。「ほんとうに寝ている?」
「いや」と、今度はKはいった。「寝ているんじゃない。空中に漂っています。そうだ、これは全然板なんかじゃなくて、おそらく紐(ひも)ですね。この若い男は高跳(たかと)びをやっているんですね」
「そうよ」と、おかみはよろこんでいった。「跳んでいるのよ。所長のお使いはこんなふうにして練習するんです。あなたにわかるものと、私は思っていました。顔も見えて?」
「顔のことはほんの少ししかわからないけれど」と、Kはいった。「ひどく骨を折ってやっているらしいですね。口は開いているし、眼をつぶり、髪をなびかせています」
「よくわかったわね」と、おかみは賞めるようにいった。「この人を直接見たのでない者には、それ以上はわからないわ。でも、すてきな若者だったのよ。ほんの一度ちらりと見ただけですけれど、あの人のことはけっして忘れないでしょう」
「いったいだれなんです?」と、Kはたずねた。
「これはね」と、おかみはいった。「使いの人です。この人をよこして、クラムがはじめて自分のところへこいって私にいってきたんです」
 Kは相手の言葉をはっきりと聞いていることができなかった。窓ガラスのがたがたいう音に注意をそらされたのだった。彼はすぐ、このじゃまの原因を見とどけた。二人の助手が外の内庭に立ち、雪のなかで片足ずつ跳んでいた。Kにまた会えてうれしいというように、よろこびのあまりたがいにKを指さしては、たえず台所の窓をこつこつとたたくのだった。Kのおどかすようなしぐさですぐにそれもやめ、たがいに相手をうしろへのけようとするのだが、すぐ相手の妨害をかわして、また窓のところへやってくる。Kは急いで仕切り部屋へもどった。そこならば、助手たちが外から彼を見ることができず、彼のほうも二人を見ないですんだ。ところが、窓ガラスをたたく、低い哀願するような物音は、そこでもなお長いあいだ彼を追いかけてくるのだった。



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