ビクトル・ユーゴー レ・ミゼラブル 第二部 コゼット


     一 抽象的観念としての修道院

 本書は一つのドラマであって、その第一の人物は無窮なる者である。

 人間は第二の人物である。

 かかるがゆえに、途中に一修道院を見いだすや、吾人はその中にはいってみざるを得なかった。何ゆえかなれば、修道院というものは、東洋と西洋とを問わず、古代と近代とを問わず、偶像教と仏教とマホメット教とキリスト教とを問わず、皆それに固有のものであって、人間によって無窮なるものの上に適用された幻燈器械の一つだからである。

 今はある何かの観念を過度に敷衍(ふえん)すべき折りではない。けれども、絶対に遠慮と制限とを守り、かつ憤懣(ふんまん)の情を覚えながらも、吾人は一言せざるを得ない。すなわち、人間のうちに無窮なるものを見いだす時は、たといそれが正当につかまれていると否とを問わず、吾人は常に尊敬の念に打たれる。ユダヤの会堂やマホメットの教堂やインドの寺院や黒人の聖堂などのうちにも、擯斥(ひんせき)すべき醜悪なる一面と賛嘆すべき荘厳なる一面とが存する。人間という壁の上への神の反映こそ、いかに人を静観せしめ、いかに深き夢想のうちに陥らしむることか!




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