ビクトル・ユーゴー レ・ミゼラブル 第二部 コゼット


     九 隠棲(いんせい)

 コゼットは修道院でもなお沈黙を守っていた。

 コゼットはごく自然に、自分をジャン・ヴァルジャンの娘であると思い込んでいた。その上彼女は何事も知らないので何も言うことはできなかった。またよし知っていたところで、おそらく何も言わなかったであろう。前に注意しておいたとおり、不幸ほど子供を無口になすものはない。コゼットは非常に苦しんできたので、何事でも恐れていた、口をきくことや息をすることさえも恐れていた。一言口をきいたために自分の上に恐ろしい雪崩(なだれ)を招いたこともしばしばあった。そしてジャン・ヴァルジャンに引き取られてからようやく安心しだしたに過ぎなかった。彼女はじきに修道院になれてきた。ただ人形のカトリーヌを惜しんだが、あえて口に出しては言わなかった。けれども、一度彼女はジャン・ヴァルジャンに言った。「お父さん、こうなるとわかってたら、あれを持って来るんだった。」

 コゼットは修道院の寄宿生になるについて、そこの生徒服を着なければならなかった。ジャン・ヴァルジャンは[#「ジャン・ヴァルジャンは」は底本では「ジャンン・ヴァルジャンは」]彼女が脱ぎ捨てた着物をもらうことができた。それはテナルディエの飲食店を出る時彼が着せてやったあの喪服だった。まだそういたんではいなかった。ジャン・ヴァルジャンはその着物や毛糸の靴下や靴にまで、たくさんの樟脳(しょうのう)や修道院にいくらもある各種の香料などをふりかけて、どうにか手に入れた小さな鞄(かばん)の中に納めた。そしてそれを寝台のそばの椅子(いす)の上に置いて、いつもその鍵(かぎ)を身につけていた。コゼットはある日彼に尋ねた。「お父さん、あんなにいいにおいのするあの箱は、ほんとに何なの?」

 フォーシュルヴァン爺(じい)さんは、前に述べてきたとおりの自ら知らない光栄のほかに、なおいろいろその善行の報いを得た。第一には、心に喜びを感じていた。次には、仕事が二つに分けられるのでよほど楽になった。最後に、彼は非常に煙草(たばこ)が好きだったが、マドレーヌ氏がいるために、以前よりは三倍も多く吸うことができ、しかもマドレーヌ氏が金を払ってくれるので非常にうまく味わうことができた。

 修道女らは少しもユルティムという名前を使わず、ジャン・ヴァルジャンをいつもも一人のフォーヴァンと呼んでいた。

 もしその聖(きよ)い処女たちが、多少なりとジャヴェルのような目を持っていたならば、何か庭の手入れのために用達にゆくような場合に外に出かけるのは、年取って身体がきかなくて跛者である兄のフォーシュルヴァンの方であって、決して弟の方でないことを、ついには気づくに至ったであろう。しかし、あるいは絶えず神の方へばかり目を向けていて、他のことをさぐる暇がなかったのか、あるいはお互いの身の上にのみ目をつけることに特に忙しかったのか、いずれにしても彼女らはそのことに何らの注意も払わなかった。

 その上、いつも黙っていて引っ込んでいたことは、ジャン・ヴァルジャンにはいいことだった。ジャヴェルはその一郭を一カ月以上も見張っていたのである。

 その修道院は、ジャン・ヴァルジャンにとっては深淵(しんえん)にとりまかれた小島のようなものだった。その四壁の中だけが以後彼の世界だった。そこで彼は、気をさわやかにするくらいにはじゅうぶん空を見ることができ、心を楽しませるくらいにはじゅうぶんコゼットを見ることができた。

 きわめて穏やかな生活が再び彼に初まった。

 彼はフォーシュルヴァン老人とともに庭の奥の小屋に住んでいた。その陋屋(ろうおく)は土蔵造りであって、一八四五年にはなお残っていたが、読者の既に知るとおり、三つの室(へや)から成っていて、どの室もみな裸のままの露(あら)わな壁があるばかりだった。その一番いい室は、ジャン・ヴァルジャンがこばむにもかかわらず、マドレーヌ氏へとしてフォーシュルヴァンがむりに与えてしまった。その室の壁には、膝当(ひざあて)と負籠(おいかご)とをかける二つの釘(くぎ)のほかに、飾りとして一七九三年の王家の紙幣が、暖炉の上の方に壁にはってあった。その模写は次のとおりである。(訳者注 図中の文字も念のために訳出す)

[#王家の紙幣の図、図省略]

[#ここから紙幣の文字の訳文]

  国王の名において

十リーヴル兌換券

 軍需品代として交付す

 平和確立とともに償還す

第三部 第一〇三九〇号

   ストフレー

  正教王党軍(欄外に)

[#ここで訳文終わり]

 このヴァンデアン党(訳者注 王党の一派にしてストフレーはその将軍)の紙幣は、この前の庭番が壁に鋲(びょう)で留めたものだった。彼はもと王党のものであって、修道院で死に、その後にフォーシュルヴァンがきたのだった。

 ジャン・ヴァルジャンは毎日庭で働き、大変役に立った。彼は昔枝切り人だったので、今また喜んで園丁になったのである。読者はたぶん思い起こすであろうが、彼は栽培に関するあらゆる方法と奥義とに通じていた。彼はそれを役立たした。果樹園のほとんどすべての樹木は野生のままだったが、彼はそれに接芽(つぎめ)してりっぱな果実をならした。

 コゼットは毎日一時間ずつ彼のそばで過ごすことを許されていた。修道女らは陰気であり、彼は親切であったから、子供の彼女は両方を比べてみて彼をなつかしんでいた。きまった時間がくると、彼女は小屋の方へ走ってきた。そして彼女がはいって来ると、その破家(あばらや)も楽園となるのだった。ジャン・ヴァルジャンも喜びに輝き、コゼットに与える幸福によってまた自分の幸福も増してくるのを感じた。人に与える喜悦こそは微妙なもので、すべての反映のように弱まりゆくどころか、かえっていっそう強い輝きをもってまた自分に返ってくるものである。休憩の時間になると、コゼットが遊び駆け回るのをジャン・ヴァルジャンは遠くからながめた、そして他の子供らの笑い声のうちにも彼女の笑い声を聞き分けることができた。

 というのは、今ではもうコゼットも笑い戯れるようになっていた。

 それとともに、コゼットの顔つきもある点まで変わってきた。陰鬱(いんうつ)な影もその顔から消えうせた。笑いは太陽のようなもので、人の顔から冬を追い払うものである。

 コゼットはやはりまだきれいではなかったが、それでもきわめてかわいくなってきた。そのやさしい幼い声でもっともらしい口をきいていた。

 休憩が終わって、コゼットがまた向こうにはいってゆく時、ジャン・ヴァルジャンはその教室の窓をながめ、また夜になると、立ち上がってその寝室の窓をながめた。

 もとより神は自己の道を進む。修道院はコゼットがしたように、ジャン・ヴァルジャンのうちにまかれたミリエル司教の仕事を維持し完成していった。およそ徳の一面が傲慢(ごうまん)に接することは確かである。そこに悪魔の渡した橋がある。ジャン・ヴァルジャンはおそらく自ら知らずしてその方面に、その橋に、かなり近づいていた。その時天は彼をプティー・ピクプュスの修道院に投じたのである。自分を司教にだけ比較していた間は、彼は自分の足りないのを知って謙譲であった。しかし最近になって、彼は自分を一般の人に比べはじめて、傲慢の念がきざしかかっていた。おそらくついには、漸次と人を憎む心に戻ってしまうかもわからなかったのである。

 しかるに修道院はその坂の上に彼を引き止めた。

 修道院は彼が見た第二の幽囚の場所であった。青年時代に、彼にとっては人生の初めに当たる時代に、そしてその後またつい最近に、彼はも一つの幽囚の場所を見たのだった。恐るべき場所、戦慄(せんりつ)すべき場所であった。そしてその苛酷(かこく)さは、裁判の不正と法律の罪悪とであるようにいつも彼には思えたのである。ところが今や彼は、徒刑場の次に修道院を見た。そしてかつては徒刑場の中にあったことを思い、今はいわば修道院の傍観者であることを思って、その両者を頭のうちで不安ながらも対照さしてみた。

 時としては耡(すき)の柄を杖にたのみながら、底なき夢想の螺旋(らせん)を徐々に下ってゆくこともあった。

 彼は昔の仲間を思い起こした。彼らはいかにみじめな者らであったか。夜明けに起き上がって夜まで働いていた。眠ることもろくろくできなかった。畳寝台(たたみねだい)の上に寝かされ、許されてるものはただ厚さ二寸のふとんだけで、室は大寒の候にだけしかあたためられていなかった。恐ろしい赤い獄衣を着ていた。ただ恩典としては、酷暑の折りに麻のズボンをつけ、酷寒の折りに毛織の短衣を背中に引っ掛けることだけだった。「労役」に行く時のほかは、酒も飲めず肉も食えなかった。もはや名前も持たず、ただ番号でばかり呼ばれ、言わば数字に化せられてしまって、目を伏せ、声を低め、髪を短く刈られ、棍棒(こんぼう)の下に、汚辱のうちに、彼らは生きていたのである。

 それから彼の考えは、眼前の人々の上に戻ってきた。

 それらの人々もまた、髪を短く刈られ、目を伏せ、声を低め、汚辱のうちにではないが、世間の嘲笑(ちょうしょう)のうちに、背中を棍棒によって傷つけらるることはないが、肩を苦業のために引き裂いて、生きていたのである。彼らに取ってもまた、世俗の名前はなくなっていた。おごそかな呼び名の下にしか彼らはもはや存在していなかった。決して肉を食わず、決して酒を飲まなかった。晩まで食物を取らないでいることもしばしばだった。赤い上衣は着ていないが、毛織の黒い法衣をつけ、夏は重く冬は軽いその着のままで、何物をも脱ぎ何物をも重ぬることができなかった。季節によってあるいは麻の服を着、あるいは毛の外套(がいとう)をまとう手段はもとよりなかった。毎年六カ月の間セルのシャツを着て、熱を出す者もあった。酷寒の候のみあたためる広間にではないが、決して火をたくことのない分房に住んでいた。厚さ二寸のふとんにではないが、藁(わら)の蒲団(ふとん)に寝ていた。それからよく眠ることもできなかった。毎夜、終日の労苦の後、まだ疲労の休まらぬうちに、眠ってまだ身体もよくあたたまらない頃に、目をさまし、起き上がり、凍るような暗い礼拝堂に行って、石の上に両膝(りょうひざ)をついて祈祷(きとう)するのであった。

 またある日には、それらの人々は各自順番に、十二時間引き続いて、床石(ゆかいし)の上にひざまずき、あるいは顔を床につけ腕を十字に組んで平伏しなければならなかった。

 彼方(あちら)は男たちであった。此方(こちら)は女たちであった。

 その男らは何をしてきたのであったか? 窃盗を働き、暴行を行ない、略奪し、殺害し、謀殺したのである。盗賊、詐欺師、毒殺者、放火人、殺害者、大逆人らであった。そしてその女らは何をしてきたのであったか? 何もしたのではなかった。

 一方には、強盗、密売、詐欺、暴行、猥褻(わいせつ)、殺人、あらゆる種類の冒涜(ぼうとく)、あらゆる種類の加害。そして他方には、潔白のただ一事。

 完全なる潔白! 徳によってなお地上に結ばれ、聖(きよ)さによって既に天に結ばれて、ほとんどある神秘なる昇天の域にまで高められたるもの。

 一方においては、声を潜めて互いに罪悪を語り合い、他方においては、高い声で過失を懺悔(ざんげ)する。そしてしかも、いかなる罪悪であり、またいかなる過失であることか!

 一方には毒気、他方には言うべからざる香気。一方には、世の視線をへだてられ大砲の下に閉じこめられて徐々に患者を食い荒しつつある精神的疫病。他方には、同じ竈(かまど)の中のすべての魂の清浄なる焔。彼方には暗黒、此方には影。しかも明るみに満ちた影であり、光輝に満ちた明るみである。

 いずれも奴隷制度(どれいせいど)の場所。しかし前者には、解放の可能、常に見えている法律上の限界、そしてまた脱走。後者には、終身。そして唯一の希望としては、未来の遠き末端にあって、人が死と称するあの自由の輝き。

 前者にあっては、人々は鎖によってつながれてるのみであり、後者にあっては、人々は自分の信仰によってつながれている。

 前者から出て来るものは何であるか? 大なる呪詛(じゅそ)、切歯、憎悪、自暴自棄の悪念、人類の団結に対する憤怒の叫び、天に対する嘲笑。

 後者からは何が出て来るか? 天の恵みと愛。

 しかも、かくも似寄りまたかくも異なれるそれら二つの場所において、かくも相違せる二種の人々は、同じ一事をなしているのである、すなわち贖罪(しょくざい)を。

 ジャン・ヴァルジャンは、第一の人々の贖罪、個人的贖罪、自分自身のための贖罪を、よく了解していた。しかし第二の人々の贖罪、何らの難点もなく何らの汚点もない婦人らの贖罪を、了解しなかった。そして彼は一種の戦慄(せんりつ)をもって自ら尋ねた。「何についての贖罪であるか? いかなる贖罪であるか?」

 一つの声が彼の内心で答えた。「人間の仁慈のうちで最も神聖なるもの、すなわち他人のための贖罪である。」

 ここにはすべて私見的理論を差し控えよう。われわれはただ叙述者に過ぎない。われわれはジャン・ヴァルジャンの立脚地に身を置き、彼の印象を紹介するに止めよう。

 自我脱却の崇高なる頂、およそあり得べき最高なる徳の峰を、彼は眼前にながめた。人々にその罪を許し彼らに代わってそれを贖(あがな)うの潔白。自ら罪を犯さない魂によって、つまずける魂を罪より免れしめんがために、甘んじて受けられたる奉仕と呵責(かしゃく)と苦業。神に対する愛のうちに巻き込まれたる人類愛、しかも明らかに区別されて常に哀願せる人類愛。罰せられたる者のごとき惨(みじ)めさと報いられたる者のごときほほえみとを持てるやさしき弱き女性ら。

 そして彼は、自らあえて不平をいだいたことがあったのを思い出した。

 しばしば真夜中に起き上がって彼は、苛酷なる重荷を負える潔白なる婦人らの感謝の歌に耳を傾けた。そして、正当に罰せられたる人々が天に向かって声を上ぐるのはただ呪(のろ)わんがためのみであったことを思い、惨(みじ)めにも自分もまた神に対してこぶしを差し向けたことを思って、全身の血が凍る思いをした。

 特に心を刺す一事で、あたかも親しく天のささやく告戒を聞いたかのように彼を深く夢想に沈めさした一事があった。すなわち、壁を乗り越したこと、墻壁(しょうへき)を脱したこと、生命をもとして冒険を演じたこと、困難な苦しい登攀(とはん)をやったこと、かつて他の贖罪(しょくざい)の場所から脱せんがためになしたのと同様なあらゆる努力、それを彼はこの贖罪の場所にはいらんがためになしたのであった。それは彼の運命の象徴であったのであろうか。

 この家もまた一つの牢獄であった。そして彼がのがれてきたも一つの住居と痛ましくもごく似寄っていた。それでも彼は両者同じようだとは決して思わなかった。

 彼は再び鉄門と閂(かんぬき)と鉄格子とを見た。しかもそれらはだれを守衛するためであったか? 天使たちをであった。

 かつて虎(とら)のまわりにめぐらされてるのを見た高い壁が、今は羊のまわりにめぐらされてるのを、彼は再び見た。

 それは贖罪の場所であって、懲罰の場所ではなかった。でもその場所は、より厳格であり、より陰鬱(いんうつ)であり、より無慈悲であった。童貞女らは囚人らよりもいっそうひどく身をかがめていた。寒いきびしい風、彼の青春の時代を凍らしてしまったあの風は、鉄格子(てつごうし)と手錠とで禿鷹(はげたか)の幽閉されてる墓穴の中を吹き過ぎていたが、なおいっそう酷烈悲壮なる朔風(きたかぜ)は、これらの鳩(はと)のはいってるかごの中を吹いていた。

 何ゆえに?

 それらのことを考える時に、彼のうちにあったすべてのものは、その崇厳なる神秘の前に消散してしまった。

 かかる瞑想(めいそう)のうちに、傲慢(ごうまん)の念は消えうせた。彼はあらゆる方面から自分を検覈(けんかく)してみた。彼は身の微弱なるを感じて、幾度か涙を流した。最近六カ月の間に彼の生涯(しょうがい)のうちに入りきたったすべてのものは、あの司教の聖なる命令の方へ彼を導いていった、コゼットは愛によって、修道院は謙譲によって。

 時として夕方、薄暮のころ、庭に人影もなくなったおり、礼拝堂に沿ってる道のまんなかに、はいってきたあの夜にのぞき込んだ窓の前に、贖罪(しょくざい)をなしてるあの修道女が平伏し祈祷(きとう)していた覚えの場所の方へ向いて、じっとひざまずいている彼の姿が見られた。そのようにしてあの修道女の前にひざまずきながら、彼は祈念をこらしていたのである。

 彼は直接に神の前には、あえてひざまずき得なかったかのようである。

 彼を取り巻いていたいっさいのもの、その平和なる庭、そのかおり高き草花、楽しい叫び声を上げるその子供ら、まじめな単純なその婦人ら、黙々たるその修道院、それらは徐々に彼のうちにしみ込んできた。そしてしだいに、その修道院のような沈黙と、その花のような香(かお)りと、その庭のような平和と、その婦人らのような単純さと、その子供らのような喜悦とで、彼の心は作らるるに至った。それからまた彼は、生涯の二つの危機に際して相次いで自分を迎え取ってくれたものは、二つの神の住居であったことを考えた。第一のものは、すべての戸がとざされ人間社会から拒まれた時に彼を迎えてくれ、第二のものは、人間社会から再び追跡され徒刑場が再び口を開いた時に彼を迎えてくれた。第一のものがなかったならば、彼は再び罪悪のうちに陥っていたであろう。また第二のものがなかったならば、彼は再び苦難のうちに陥っていたであろう。

 彼の全心は感謝のうちに溶け去り、そして彼はますます愛の念を深くした。

 幾年かがかくして過ぎ去った。コゼットもしだいに生長していた。


底本:「レ・ミゼラブル(一)」岩波文庫、岩波書店


   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行

   「レ・ミゼラブル(二)」岩波文庫、岩波書店

   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行

※誤植の確認に「レ・ミゼラブル(二)」岩波文庫、岩波書店1960(昭和35)年12月20日第15刷、「レ・ミゼラブル(三)」岩波文庫、岩波書店1959(昭和34)年12月10日第14刷を用いました。

入力:tatsuki

校正:門田裕志、小林繁雄

2007年1月15日作成

青空文庫作成ファイル:

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