折口信夫 死者の書

十一

ほほき ほほきい ほほほきい――。
きのうよりも、澄んだよい日になった。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかっきりと、木草の影を落して居た。ほかほかした日よりなのに、其を見ていると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳(かげ)りもなく、晴れきった空だ。高原を拓(ひら)いて、間引いた疎(まば)らな木原(こはら)の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼったり降(さが)ったりして居る。たった一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けているのだ。

家の刀自(とじ)たちが、物語る口癖を、さっきから思い出して居た。出雲宿禰(いずものすくね)の分れの家の嬢子(おとめ)が、多くの男の言い寄るのを煩しがって、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入った。そうして其処で、まどろんで居る中に、悠々(うらうら)と長い春の日も、暮れてしまった。嬢子は、家路と思う径(みち)を、あちこち歩いて見た。脚は茨(いばら)の棘(とげ)にさされ、袖(そで)は、木の楚(ずわえ)にひき裂かれた。そうしてとうとう、里らしい家群(いえむら)の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物(きもの)も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来ている。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。

ほほき ほほきい。
何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかった。「おお此身は」と思った時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであった。枯(か)れ原(ふ)の冬草の、山肌色をした小な翼であった。思いがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押えようとすると、自身すらいとおしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行ってしまって、替りに、ささやかな管のような喙(くちばし)が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考えさえもつかなかった。唯、身悶(みもだ)えをした。するとふわりと、からだは宙に浮き上った。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔(かけ)り昇って行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、

ほほき ほほきい ほほほきい。
と鳴いているのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまま、自分であるような気がして来る。

郎女は、徐(しず)かに両袖(もろそで)を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻(な)れ、皺立(しわだ)っているが、小鳥の羽には、なって居なかった。手をあげて唇に触れて見ると、喙でもなかった。やっぱり、ほっとりとした感触を、指の腹に覚えた。

ほほき鳥―鶯―になって居た方がよかった。昔語りの嬢子は、男を避けて、山の楚原(しもとはら)へ入り込んだ。そうして、飛ぶ鳥になった。この身は、何とも知れぬ人の俤(おもかげ)にあくがれ出て、鳥にもならずに、ここにこうして居る。せめて蝶飛虫(ちょうとり)にでもなれば、ひらひらと空に舞いのぼって、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行こうもの――。

ほほき ほほきい。
自身の咽喉(のど)から出た声だ、と思った。だがやはり、廬(いおり)の外で鳴くのであった。

郎女の心に動き初めた叡(さと)い光りは、消えなかった。今まで手習いした書巻の何処かに、どうやら、法喜と言う字のあった気がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感(かま)けて鳴くのではなかろうか。そう思えば、この鶯も、

ほほき ほほきい。
嬉しそうな高音を、段々張って来る。

物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言うことは、時たま、世の中の瑞々(みずみず)しい消息(しょうそこ)を伝えて来た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、広いものであった。郎女の帳台の立ち処(ど)を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡(およそ)三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館(みたち)ですることだと言って、苑(その)の池の蓮の茎を切って来ては、藕糸(はすいと)を引く工夫に、一心になって居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲(ま)いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになって、水の反射が蔀(しとみ)を越して、女部屋まで来るばかりになった。茎を折っては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒(よ)る。

郎女は、女たちの凝っている手芸を、じっと見て居る日もあった。ほうほうと切れてしまう藕糸を、八合(こ)・十二合(こ)・二十合(はたこ)に縒って、根気よく、細い綱の様にする。其を績(う)み麻(お)の麻(お)ごけに繋(つな)ぎためて行く。奈良の御館でも、蚕(かうこ)は飼って居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせわしく、そのせいで、不機嫌になって居る日が多かった。

刀自たちは、初めは、そんな韓(から)の技人(てびと)のするような事は、と目もくれなかった。だが時が立つと、段々興味を惹(ひ)かれる様子が見えて来た。

こりゃ、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさえしなければのう。
こうして績(つむ)ぎ蓄(た)めた藕糸は、皆一纏(ひとまと)めにして、寺々に納めようと、言うのである。寺には、其々(それそれ)の技女(ぎじょ)が居て、其糸で、唐土様(もろこしよう)と言うよりも、天竺風(てんじくふう)な織物に織りあげる、と言う評判であった。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでいる。其でも、其が幾かせ、幾たまと言う風に貯(たま)って来ると、言い知れぬ愛著(あいちゃく)を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。

若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬように、長く長くと抽(ぬ)き出す。又其、粘り気の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるように、手際よく糸にする間も、ちっとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟(おきて)になって居た。なっては居ても、物珍(ものめ)でする盛りの若人たちには、口を塞(ふさ)いで緘黙行(しじま)を守ることは、死ぬよりもつらい行(ぎょう)であった。刀自らの油断を見ては、ぼつぼつ話をしている。其きれぎれが、聞こうとも思わぬ郎女の耳にも、ぼつぼつ這入(はい)って来勝ちなのであった。

鶯の鳴く声は、あれで、法華経(ほけきょう)法華経(ほけきょう)と言うのじやて――。

ほう、どうして、え――。

天竺のみ仏は、おなごは、助からぬものじゃと、説かれ説かれして来たがえ、其果てに、女(おなご)でも救う道が開かれた。其を説いたのが、法華経じゃと言うげな。

――こんなこと、おなごの身で言うと、さかしがりよと思おうけれど、でも、世間では、そう言うもの――。

じゃで、法華経法華経と経の名を唱えるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。

ほんまにその、天竺(てんじく)のおなごが、あの鳥に化(な)り変って、み経の名を呼ばるるのかえ。
郎女(いらつめ)には、いつか小耳に挿(はさ)んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかった。その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう)を、千部写そうとの願を発(おこ)して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫(ぼう)とした耳に、此世話(よばなし)が再また、紛(まぎ)れ入って来たのであった。

ふっと、こんな気がした。

ほほき鳥は、先の世で、御経(おんきょう)手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、若(も)しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら、我が魂(たま)は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。
ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性(にょしょう)の間に、蓮(はちす)の花がぽっちりと、莟(つぼみ)を擡(もた)げたように、物を考えることを知り初(そ)めた郎女であった。

おれよ。鶯よ。あな姦(かま)や。人に、物思いをつけくさる。
荒々しい声と一しょに、立って、表戸と直角(かね)になった草壁の蔀戸(しとみど)をつきあげたのは、当麻語部(たぎまのかたり)の媼(おむな)である。北側に当るらしい其外側は、(まど)を圧するばかり、篠竹(しのだけ)が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。

郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃(ひらめ)き過ぎた色を、瞼(まぶた)の裏に、見つめて居た。おとといの日の入り方、山の端に見た輝きが、思わずには居られなかったからである。

また一時(いっとき)、廬堂(いおりどう)を廻って、音するものもなかった。日は段々闌(た)けて、小昼(こびる)の温(ぬく)みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。

寺の奴(やっこ)が、三四人先に立って、僧綱(そうごう)が五六人、其に、大勢の所化(しょけ)たちのとり捲(ま)いた一群れが、廬へ来た。

これが、古(ふる)山田寺だ、と申します。
勿体ぶった、しわがれ声が聞えて来た。

そんな事は、どうでも――。まず、郎女さまを――。
噛みつくようにあせって居る家長老(いえおとな)額田部子古(ぬかたべのこふる)のがなり声がした。

同時に、表戸は引き剥(は)がされ、其に隣った、幾つかの竪薦(たつごも)をひきちぎる音がした。

ずうと這い寄って来た身狭乳母(むさのちおも)は、郎女の前に居たけを聳(そびや)かして、掩(おお)いになった。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人(あてびと)の姿を暴(さら)すまい、とするのであろう。伴(とも)に立って来た家人(けにん)の一人が、大きな木の叉枝(またぶり)をへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛(まきぎぬ)を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀(ゆか)につきさして、即座の竪帷(たつばり)―几帳(きちょう)―は調った。乳母(おも)は、其前に座を占めたまま、何時までも動かなかった。

   



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