折口信夫 死者の書



月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰(あま)る光りは、又空に跳ね返って、残る隈々(くまぐま)までも、鮮やかにうつし出した。

足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあって、深々と畝(うね)っている。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た霞の所為(せい)だ。其が又、此冴えざえとした月夜をほっとりと、暖かく感じさせて居る。

広い端山(はやま)の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯(おおおび)は、石川である。その南北に渉(わた)っている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡河内(おおしこうち)の邑(むら)のあたりであろう。其へ、山間(やまあい)を出たばかりの堅塩(かたしお)川―大和川―が落ちあって居るのだ。そこから、乾(いぬい)の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列(つらな)って見えるのは、日下江(くさかえ)・永瀬江(ながせえ)・難波江(なにわえ)などの水面であろう[#「あろう」は底本では「あらう」]。

寂(しず)かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたように、しっとりとして静まって居る。谷にちらちらする雪のような輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。

一本の路が、真直に通っている。二上山の男岳(おのかみ)・女岳(めのかみ)の間から、急に降(さが)って来るのである。難波から飛鳥(あすか)の都への古い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓(は)って居るのすら見える。当麻路(たぎまじ)である。一降(ひとくだ)りして又、大降(おおくだ)りにかかろうとする処が、中だるみに、やや坦(ひらた)くなっていた。梢の尖(とが)った栢(かえ)の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見える。月の光りも薄い木陰全体が、勾配(こうばい)を背負って造られた円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く(まぶた)を閉じている。

こう こう こう。
先刻(さっき)から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂(しず)けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかったのであろう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。

こう こう こう――こう こう こう。
確かに人声である。鳥の夜声とは、はっきりかわった韻(ひびき)を曳(ひ)いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って張りきっている。この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、葛城(かつらぎ)の峰々である。伏越(ふしごえ)・櫛羅(くしら)・小巨勢(こごせ)と段々高まって、果ては空の中につき入りそうに、二上山と、この塚にのしかかるほど、真黒に立ちつづいている。

当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳(か)けおりて来る。

九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物(きもの)・白い鬘(かずら)、手は、足は、すべて旅の装束(いでたち)である。頭より上に出た杖をついて――。この坦(たいら)に来て、森の前に立った。

こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽(たちまち)一時の騒擾(そうじょう)から、元の緘黙(しじま)に戻ってしまった。

こう。こう。お出でなされ。藤原南家(なんけ)郎女(いらつめ)の御魂(みたま)。

こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。

お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になって居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかった。其を、長さの限り振り捌(さば)いて、一様に塚に向けて振った。

こう こう こう。
こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈(うっくつ)と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲(ま)きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。

おい。無言(しじま)の勤めも此までじゃ。

おお。
八つの声が答えて、彼等は訓練せられた所作のように、忽一度に、草の上に寛(くつろ)ぎ、再杖を横えた。

これで大和も、河内との境じゃで、もう魂ごいの行(ぎょう)もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬(いおり)の中で魂をとり返して、ぴちぴちして居られようぞ。

ここは、何処だいの。

知らぬかいよ。大和にとっては大和の国、河内にとっては河内の国の大関(おおぜき)。二上の当麻路の関――。
別の長老(とね)めいた者が、説明を続(つ)いだ。

四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の標(しるし)もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、磯城(しき)の訳語田(おさだ)の御館(みたち)に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸(むくろ)を、罪人に殯(もがり)するは、災の元と、天若日子(あめわかひこ)の昔語りに任せて、其まま此処にお搬(はこ)びなされて、お埋(い)けになったのが、此塚よ。
以前の声が、もう一層皺(しわ)がれた響きで、話をひきとった。

其時の仰せには、罪人よ。吾子(わこ)よ。吾子の為(し)了(おお)せなんだ荒(あら)び心で、吾子よりももっと、わるい猛(たけ)び心を持った者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞(さ)え防いで居ろ、と仰せられた。

ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛(わかざか)りじゃったに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを挿んだ。

さいや。あの時も、墓作りに雇われた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知って居る。ほんの苗木じゃった栢が、此ほどの森になったものな。畏(こわ)かったぞよ。此墓のみ魂が、河内安宿部(あすかべ)から石担(いしも)ちに来て居た男に、憑(つ)いた時はのう。
九人は、完全に現(うつ)し世(よ)の庶民の心に、なり還(かえ)って居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひしひしと、感じられ出したのだろう。

もう此でよい。戻ろうや。

よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言うだけの姿(なり)になった。

だがの。皆も知ってようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆえ、もう一度、魂ごいをしておくまいか。
長老の語と共に、修道者たちは、再魂呼(たまよば)いの行を初めたのである。

こう こう こう。
おお……。

異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑い、其でも変に、おじけづいた心を持ちかけていた。も一度、

こう こう こう。
其時、塚穴の深い奥から、冰(こお)りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。

おおう……。
九人の心は、ばらばらの九人の心々であった。からだも亦ちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のように、消えてしまった。

唯畳まった山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。

おおう……。

   



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