折口信夫 死者の書



ひさかたの  天二上(あめふたかみ)に、

我(あ)が登り   見れば、

とぶとりの  明日香(あすか)

ふる里の   神南備山隠(かむなびごも)り、

家どころ   多(さは)に見え、

豊(ゆた)にし    屋庭(やには)は見ゆ。

弥彼方(いやをち)に   見ゆる家群(いへむら)

藤原の    朝臣(あそ)が宿。

 遠々に    我(あ)が見るものを、

 たか/″\に 我(あ)が待つものを、

処女子(をとめご)は   出で通(こ)ぬものか。

よき耳を   聞かさぬものか。

青馬の    耳面刀自(みゝものとじ)。

 刀自もがも。女弟(おと)もがも。

 その子の   はらからの子の

 処女子の   一人

 一人だに、  わが配偶(つま)に来(こ)よ。
ひさかたの  天二上

二上の陽面(かげとも)に、

生ひをゝり  繁(し)み咲く

馬酔木(あしび)の   にほへる子を

 我が     捉(と)り兼ねて、

馬酔木の   あしずりしつゝ

 吾(あ)はもよ偲(しぬ)ぶ。藤原処女


歌い了(お)えた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。

姥は居ずまいを直して、厳かな声音(こわね)で、誦(かた)り出した。

とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍(はべ)る尊いおん方。ささなみの大津の宮に人となり、唐土(もろこし)の学芸(ざえ)に詣(いた)り深く、詩(からうた)も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。

近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言う噂が、立ちました。

高天原広野姫尊(たかまのはらひろぬひめのみこと)、おん怒りをお発しになりまして、とうとう池上の堤に引き出して、お討たせになりました。

其お方がお死にの際(きわ)に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、大織冠(たいしょくかん)のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。唯、此郎女(いらつめ)も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々(いよいよ)、磐余(いわれ)の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目 見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。藤原から池上まで、おひろいでお出でになりました。小高い柴(しば)の一むらある中から、御様子を窺(うかご)うて帰ろうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
この思いがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども当麻(たぎま)の語部の物語りには、伝えて居ります。

その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父(おおじ)君南家太政大臣(なんけだいじょうだいじん)には、叔母君にお当りになってでおざりまする。

人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。

其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚(ごじょう)で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋(い)けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々(すがすが)しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界(かくりよ)の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになったのでのうて、何でおざりましょう。

当麻路に墓を造りました当時(そのかみ)、石を搬(はこ)ぶ若い衆にのり移った霊(たま)が、あの長歌を謳(うと)うた、と申すのが伝え。
当麻語部媼(たぎまのかたりのおむな)は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語って居たのかも知れぬ。唯さえ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言え、語部の古婆(ふるばば)の心は、自身も思わぬ意地くね悪さを蔵しているものである。此が、神さびた職を寂しく守って居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。

大貴族の郎女は、人の語を疑うことは教えられて居なかった。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞(ことば)の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。

言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此日本(やまと)の国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子(おのこご)たちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色の鬢(びん)、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒(ぬ)いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆(たか)く、眉秀で夢見るようにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……ああ雲の上に朱の唇、匂いやかにほほ笑まれると見た……その俤(おもかげ)。

日のみ子さまの御側仕えのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだろうか。我が家の父や、兄人(しょうと)たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。

尊い女性(にょしょう)は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の掟(おきて)である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考えられていた。それでも、此古物語りをする姥(うば)には、貴族の語もわかるであろう。郎女は、恥じながら問いかけた。

そこの人。ものを聞こう。此身の語が、聞きとれたら、答えしておくれ。

その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた、と言うお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣(わけ)で、姫の前に立ち現れては、神々(こうごう)しく見えるであろうぞ。
此だけの語が言い淀(よど)み、淀みして言われている間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡(およそ)は、気(け)どったであろう。暗いみ灯(あかし)の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧(おぼ)ろげに顕(あらわ)しはじめて居た。

我が説明(ことわけ)を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子(あめわかひこ)。天若日子こそは、天(てん)の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後(ご)、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の閨(ねや)の戸までも、忍びよると申しまする。世に言う「天若みこ」と言うのが、其でおざります。

天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉じた。そ[#「そ」は底本では「さ」]うして言い出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。

「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一(いち)の媛(ひめ)に祟(たた)る天若みこも、顔清く、声心惹(ひ)く天若みこのやはり、一人でおざりまする。

お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まま石のように、老女はじっとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。

万法蔵院は、村からは遠く、山によって立って居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥(ねぐらどり)が、近い端山(はやま)の木群(こむら)で、羽振(はぶ)きの音を立て初めている。

   



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