折口信夫 死者の書



おれは活(い)きた。
闇(くら)い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄(もや)の如く、たなびくものであった。

巌ばかりであった。壁も、牀(とこ)も、梁(はり)も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。

屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い磐石(ばんじゃく)の面(おもて)が、感じられた。

纔(わず)かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、岩窟(いわむろ)の中に見えるものはなかった。唯けはい――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。

思い出したぞ。おれが誰だったか、――訣(わか)ったぞ。

おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦(しがつひこ)。其が、おれだったのだ。
歓びの激情を迎えるように、岩窟の中のすべての突角が哮(たけ)びの反響をあげた。彼の人は、立って居た。一本の木だった。だが、其姿が見えるほどの、はっきりした光線はなかった。明りに照し出されるほど、纏(まとま)った現(うつ)し身(み)をも、持たぬ彼の人であった。

唯、岩屋の中に矗立(しゅくりつ)した、立ち枯れの木に過ぎなかった。

おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛(いと)しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すようだ。

――子代(こしろ)も、名代(なしろ)もない、おれにせられてしまったのだ。そうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、現(うつ)し身(み)の人間どもには、忘れ了(おお)されて居るのだ。憐みのないおっかさま。おまえさまは、おれの妻の、おれに殉死(ともじ)にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子(あわつこ)は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものの餌食(えじき)に、くれたのだろう。可愛そうな妻よ。哀なむすこよ。

だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初(ごうしょ)から末代まで、此世に出ては消える、天(あめ)の下(した)の青人草(あおひとぐさ)と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあっても、不承知だ。

恵みのないおっかさま。お前さまにお縋(すが)りするにも、其おまえさますら、もうおいででない此世かも知れぬ。

くそ――外(そと)の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。

だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。闇の中にばかり瞑(つぶ)って居たおれの目よ。も一度かっと(みひら)いて、現し世のありのままをうつしてくれ、……土竜(もぐら)の目なと、おれに貸しおれ。
声は再、寂(しず)かになって行った。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであろう。丑刻(うし)に、静謐(せいひつ)の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄(にわ)かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えそうだった四方の山々の上に、まず木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿(たに)のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和国中(くになか)の、何処からか起る一番鶏のつくるとき。

暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸(ねやど)から、ひそひそと帰って行くだろう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保っている。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思わずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚(よ)りかかって、新しい眠りを継ぐのである。

山風は頻(しき)りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋(あいひし)めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひっそとしたけしきに還(かえ)る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈(くま)を持ったように、朧(おぼ)ろになって来た。

岩窟(いわむろ)は、沈々と黝(くら)くなって冷えて行く。

した した。水は、岩肌を絞って垂れている。

耳面刀自(みみものとじ)。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を胎(のこ)して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。
岩牀(いわどこ)の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活(い)きているのであった。

まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあって、心はなかった。

耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁(し)み、干からびた髄の心までも、唯彫(え)りつけられたようになって、残っているのである。

万法蔵院の晨朝(じんちょう)の鐘だ。夜の曙色(あけいろ)に、一度騒立(さわだ)った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音(ね)だ。一(いっ)ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い明(あ)け昏(ぐ)れの寂けさに返った。

南家(なんけ)の郎女(いらつめ)は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪(あかつきな)ぎを、自身擾(みだ)すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。

夜(よる)の間(ま)よりも暗くなった廬(いおり)の中では、明王像の立ち処(ど)さえ見定められぬばかりになって居る。

何処からか吹きこんだ朝山颪(おろし)に、御灯(みあかし)が消えたのである。当麻語部(たぎまかたり)の姥(うば)も、薄闇に蹲(うずくま)って居るのであろう。姫は再、この老女の事を忘れていた。

ただ一刻ばかり前、這入(はい)りの戸を揺った物音があった。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。枢(とぼそ)がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。

新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来ていた。けれども、頑(かたくな)な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであろう。まことに其は、昨(きぞ)の日からはじまるのである。

   



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