永井荷風 日和下駄 一名 東京散策記





第十一 夕陽 附富士眺望

 東都の西郊目黒(めぐろ)に夕日(ゆうひ)ヶ岡(おか)というがあり、大久保(おおくぼ)に西向天神(にしむきてんじん)というがある。倶(とも)に夕日の美しきを見るがために人の知る所となった。これ元より江戸時代の事にして、今日わざわざかかる辺鄙(へんぴ)の岡に杖を留(とど)めて夕陽(ゆうひ)を見るが如き愚をなすものはあるまい。しかし私は日頃頻(しきり)に東京の風景をさぐり歩くに当って、この都会の美観と夕陽(せきよう)との関係甚だ浅からざる事を知った。
 立派な二重橋の眺望も城壁の上なる松の木立(こだち)を越えて、西の空一帯に夕日の燃立(もえた)つ時最も偉大なる壮観を呈する。暗緑色の松と、晩霞(ばんか)の濃い紫と、この夕日の空の紅色(こうしょく)とは独り東京のみならず日本の風土特有の色彩である。
 夕焼(ゆうやけ)の空は堀割に臨む白い土蔵(どぞう)の壁に反射し、あるいは夕風を孕(はら)んで進む荷船(にぶね)の帆を染めて、ここにもまた意外なる美観をつくる。けれども夕日と東京の美的関係を論ぜんには、四谷(よつや)麹町(こうじまち)青山(あおやま)白金(しろかね)の大通(おおどおり)の如く、西向きになっている一本筋の長い街路について見るのが一番便宜である。神田川(かんだがわ)や八丁堀(はっちょうぼり)なぞいう川筋、また隅田川(すみだがわ)沿岸の如きは夕陽(せきよう)の美を俟(ま)たざるも、それぞれ他の趣味によって、それ相応の特徴を附する事が出来る。これに反して麹町から四谷を過ぎて新宿に及ぶ大通、芝白金から目黒行人坂(めぐろぎょうにんざか)に至る街路の如きは、以前からいやに駄々広(だだっぴろ)いばかりで、何一ツ人の目を惹(ひ)くに足るべきものもなく全く場末(ばすえ)の汚い往来に過ぎない。雪にも月にも何の風情(ふぜい)を増しはせぬ。風が吹けば砂烟(すなけむり)に行手は見えず、雨が降れば泥濘(でいねい)人の踵(きびす)を没せんばかりとなる。かかる無味殺風景の山の手の大通をば幾分たりとも美しいとか何とか思わせるのは、全く夕陽(ゆうひ)の関係あるがためのみである。
 これらの大通は四谷青山白金巣鴨(すがも)なぞと処は変れど、街の様子は何となく似通(にかよ)っている。昔四谷通は新宿より甲州(こうしゅう)街道また青梅(おうめ)街道となり、青山は大山(おおやま)街道、巣鴨は板橋を経て中仙道(なかせんどう)につづく事江戸絵図を見るまでもなく人の知る所である。それがためか、電車開通して街路の面目一新したにかかわらず、今以て何処(どこ)となく駅路の臭味(しゅうみ)が去りやらぬような心持がする。殊に広い一本道のはずれに淋しい冬の落日を望み、西北(にしきた)の寒風(かんぷう)に吹付けられながら歩いて行くと、何ともなく遠い行先の急がれるような心持がして、電車自転車のベルの音(ね)をば駅路の鈴に見立てたくなるのも満更(まんざら)無理ではあるまい。
 東京における夕陽(せきよう)の美は若葉の五、六月と、晩秋の十月十一月の間を以て第一とする。山の手は庭に垣根に到る処新樹(しんじゅ)の緑滴(したた)らんとするその木立(こだち)の間よりタ陽の空紅(くれない)に染出(そめいだ)されたる美しさは、下町の河添(かわぞい)には見られぬ景色である。山の手のその中(なか)でも殊に木立深く鬱蒼とした処といえば、自(おのずか)ら神社仏閣の境内を択ばなければならぬ。雑司(ぞうし)ヶ谷(や)の鬼子母神(きしもじん)、高田(たかた)の馬場(ばば)の雑木林(ぞうきばやし)、目黒の不動、角筈(つのはず)の十二社(じゅうにそう)なぞ、かかる処は空を蔽う若葉の間より夕陽を見るによいと同時に、また晩秋の黄葉(こうよう)を賞するに適している。夕陽影裏落葉を踏んで歩めば、江湖淪落(ごうこりんらく)の詩人ならざるもまた多少の感慨なきを得まい。
 ここに夕陽(せきよう)の美と共に合せて語るべきは、市中より見る富士山の遠景である。夕日に対する西向きの街からは大抵富士山のみならずその麓に連(つらな)る箱根(はこね)大山(おおやま)秩父(ちちぶ)の山脈までを望み得る。青山一帯の街は今なお最もよくこの眺望に適した処で、その他九段坂上(くだんざかうえ)の富士見町通(ふじみちょうどおり)、神田駿河台(かんだするがだい)、牛込寺町辺(うしごめてらまちへん)も同様である。
 関西の都会からは見たくも富士は見えない。ここにおいて江戸児(えどっこ)は水道の水と合せて富士の眺望を東都の誇(ほこり)となした。西に富士ヶ根東に筑波(つくば)の一語は誠によく武蔵野の風景をいい尽したものである。文政年間葛飾北斎(かつしかほくさい)『富嶽三十六景』の錦絵(にしきえ)を描(えが)くや、その中(うち)江戸市中より富士を望み得る処の景色(けいしょく)凡(およ)そ十数個所を択んだ。曰(いわ)く佃島(つくだじま)、深川万年橋(ふかがわまんねんばし)、本所竪川(ほんじょたてかわ)、同じく本所五(いつ)ツ目(め)羅漢寺(らかんじ)、千住(せんじゅ)、目黒、青山竜巌寺(あおやまりゅうがんじ)、青山穏田水車(おんでんすいしゃ)、神田駿河台(かんだするがだい)、日本橋橋上(にほんばしきょうじょう)、駿河町越後屋店頭(するがちょうえちごやてんとう)、浅草本願寺(あさくさほんがんじ)、品川御殿山(しながわごてんやま)、及び小石川の雪中(せっちゅう)である。私はまだこれらの錦絵をば一々実景に照し合した事はない。それ故例えば深川万年橋あるいは本所竪川辺より江戸時代においても果して富士を望み得たか否かを知る事が出来ない。しかし北斎及びその門人昇亭北寿(しょうていほくじゅ)また一立斎広重(いちりゅうさいひろしげ)らの古版画は今日なお東京と富士山との絵画的関係を尋ぬるものに取っては絶好の案内たるやいうを俟(ま)たない。北寿が和蘭陀風(オランダふう)の遠近法を用いて描いたお茶の水の錦絵はわれら今日目(ま)のあたり見る景色と変りはない。神田聖堂(かんだせいどう)の門前を過ぎてお茶の水に臨む往来の最も高き処に佇(たたず)んで西の方(かた)を望めば、左には対岸の土手を越して九段の高台、右には造兵廠(ぞうへいしょう)の樹木と並んで牛込(うしごめ)市(いち)ヶ谷(や)辺(へん)の木立を見る。その間を流れる神田川は水道橋より牛込揚場辺(あげばへん)の河岸(かし)まで、遠いその眺望のはずれに、われらは常に富嶽とその麓の連山を見る光景、全く名所絵と異る所がない。しかして富嶽の眺望の最も美しきはやはり浮世絵の色彩に似て、初夏晩秋の夕陽(せきよう)に照されて雲と霞は五色(ごしき)に輝き山は紫に空は紅(くれない)に染め尽される折である。
 当世人(とうせいじん)の趣味は大抵日比谷公園の老樹に電気燈を点じて奇麗奇麗と叫ぶ類(たぐい)のもので、清夜(せいや)に月光を賞し、春風(しゅんぷう)に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった。されば東京の都市に夕日が射(さ)そうが射すまいが、富士の山が見えようが見えまいがそんな事に頓着するものは一人もない。もしわれらの如き文学者にしてかくの如き事を口にせば文壇は挙(こぞ)って気障(きざ)な宗匠(そうしょう)か何ぞのように手厳(てひど)く擯斥(ひんせき)するにちがいない。しかしつらつら思えば伊太利亜(イタリヤ)ミラノの都はアルプの山影(さんえい)あって更に美しく、ナポリの都はヴェズウブ火山の烟(けむり)あるがために一際(ひときわ)旅するものの心に記憶されるのではないか。東京の東京らしきは富士を望み得る所にある。われらは徒(いたずら)に議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力(つと)むる事を以て第一の義務なりと考うるのである。今や東京市の風景全く破壊せられんとしつつあるの時、われらは世人のこの首都と富嶽との関係を軽視せざらん事を希(こいねご)うて止(や)まない。安永頃の俳書『名所方角集(めいしょほうがくしゅう)』に富士眺望と題して


名月や富士見ゆるかと駿河町(するがちょう)  素竜
半分は江戸のものなり不尽(ふじ)の雪  立志(りゅうし)
富士を見て忘れんとしたり大晦日(おおみそか)  宝馬
 十余年前(ぜん)楽天居(らくてんきょ)小波山人(さざなみさんじん)の許(もと)に集まるわれら木曜会の会員に羅臥雲(らがうん)と呼ぶ眉目(びもく)秀麗なる清客(しんきゃく)があった。日本語を善(よ)くする事邦人に異らず、蘇山人(そさんじん)と戯号(ぎごう)して俳句を吟じ小説をつづりては常にわれらを後(しりえ)に瞠若(どうじゃく)たらしめた才人である。故山(こざん)に還(かえ)る時一句を残して曰く


行春(ゆくはる)の富士も拝まんわかれかな
 蘇山人湖南の官衙(かんが)にあること歳余(さいよ)病(やまい)を得て再び日本に来遊し幾何(いくばく)もなくして赤坂(あかさか)一(ひと)ツ木(ぎ)の寓居に歿した。わたしは富士の眺望よりしてたまたま蘇山人が留別の一句を想い惆悵(ちゅうちょう)としてその人を憶(おも)うて止(や)まない。


君は今鶴にや乗らん富士の雪  荷風


大正四年四月








底本:「荷風随筆集(上)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年9月16日第1刷発行
   2006(平成18)年11月6日第27刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一~五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月~1982(昭和57)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2009年12月3日作成
2012年4月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。







●表記について

[#…]は、入力者による注を表す記号です。
「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

18-8、19-4、91-14
「卓+戈」、U+39B8





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